V・S・ラマチャンドランの「脳のなかの幽霊」の読書感想です。
以前読んだ脳神経科学の本は難解だったが、本書はわかりやすく、おもしろく、興味を持って読み進めることができた。
著者のラマチャンドランは、ユニークさも持ち合わせた、教養ある科学者なのだろうと感じた。
本書で学んだのは、「意識」と「無意識」だ。フロイトの言っていることを、科学的に解説してくれているような感じがした。
「意識」は私。普段感じているあるがままの状態だ。一方、「無意識」は脳の中に住むゾンビや幽霊、幻である。
人間には魂などはなく、脳の活動がすべてだ。そして脳の活動のうち、「意識」されるのはほんの一部にすぎず、「無意識」の活動がこの体を支配することもあるし、「意識」に大きな影響を及ぼすこともある。
脳に障害を持った人や、身体の欠損が生じた人の研究を進めることによって、脳の活動や、意識と無意識が理解できる。
幻肢
幻肢は、例えば腕を失ったひとに起こるもので、無くなったはずの腕が「ある」と感じる症状だ。無いはずの腕に強い痛みを伴うこともある。
私たちの身体の感覚は、脳がつくりだしている。腕に「感覚」を感じるのは腕に対応する脳の領域があるからだ。同様に顔や足といった他の身体部位も、それぞれ脳に領域をもっている。
つまり脳には、地図のように身体の各部位の感覚が分布している。この地図は身体の欠損で書き換わってしまうことがある。
足を失ったひとは、「足」の感覚に対応していた脳の領域が、「顔」の領域に取り込まれてしまうことがある。顔をさわると、足にも触れている感覚が生じるらしい。脳の地図が書き換わったために起こる現象だ。
幻肢とは不思議な症状であり、恐ろしいものだと思う。脳にダメージを受けることで脳に障害(誤作動)が起こるのは当然だが、脳にダメージを受けなくとも、身体を損なうことでも脳は誤作動を起こすのだ。
腕や足を失ったひとは、それだけでも辛いだろうに、幻肢に伴う強い痛みにも耐えなければならない。
長年、その解決策はなかったが、著者のラマチャンドラン博士は患者の痛みをやわらげる方法を知恵を使って開発した。それも特別な機材を使うわけでもなく。すごい人だ。
五体満足という状態は、それだけで幸せで、ありがたいことなんだと改めて思った。
盲視
盲視は、見えていないのに、見えているように行動ができてしまう現象である。
例えば、ポストの投函口が見えていないのに、手紙をポストに入れることはできる(投函口がヨコ向きでも、タテ向きでも、間違わずに一発で投函できる。)
「私(意識)」には見えていないが、「ゾンビ(無意識)」が見ているという状態だ。
私たちが何かを見たとき、脳には2つの経路で情報が送られる。1つは「いかに経路」であり、物体との距離を測ることや、物にぶつからないようにする役割がある。
もう1つは「何経路」であり、見た物体が何なのかを判断するための経路だ。
「いかに経路」は意識にのぼらず、無意識のゾンビだけに情報が送られる。「何経路」はまさに〝私に見えて”おり、意識に情報が到達している。
盲視は「いかに経路」だけで物をみている状態であり、「何経路」が機能していない。すなわち、ゾンビにだけ(無意識にだけ)に情報が届いている状態だ。
そういえば、日常でゾンビの存在を感じることがある。車の運転するときだ。考え事をしたり、誰かと話をしたりしながら運転すると、いつの間にか目的地にたどり着く。
車の運転では、きっと「いかに経路」が大いに役立っているのだろう。いわばゾンビによる自動運転だ。こうして考えると、ゾンビの存在も悪くない。
右脳の役割
左脳は信念体系を守ろうとする。
右脳は異常を察知しもはや既存の信念体系では説明できない状況に直面したときに「パラダイムシフト」を起こす役割を果たす。
私たちが価値観や物の見方、習慣を変えることが簡単にはできないのは、左脳が信念体系を守ろうとするからだろう。ちょっとくらい信念体系にあわない場面に出くわしても、左脳はそれをごまかし、信念体系に沿った解釈をしようと努める。
右脳は異常を察知し、「どうやら私の信念体系には間違いがあるようだ」と気づき、信念体系自体を変えようとする(パラダイムシフト)。
自分の信念体系がいつもぐらぐらと揺れ動くのも困るので、左脳の役割はとても大事なんだろう。しかし右脳による気づきも大事であり、左脳と右脳がバランスよく機能することが重要になってくる。
しかし右脳に損傷を受けた人はそうはいかない。左脳しか機能しないので、常に既存の信念体系を守ることしかできず自己欺瞞におちいる。
右脳の損傷により左側の半身マヒになった人は、体の左側が動いていないのに、その事実を認めない。周りの人がおかしいと感じるくらい、事実を捻じ曲げる。あるいは事実が見えなくなってしまう。右脳が機能していないからだ。
二つ以上の信念体系を共存させざるを得なくなった人は、多重人格障害を引き起こすようだ。一人の人間(人格)に、矛盾する二つ以上の信念体系を持たせることはできない。だから脳は人格を増やしてしまうのだ。1つの体に「私(意識)」が二つ以上あるということだ。
ファミコンカセット1つに、複数のセーブデータを作成できるようなものか。
学び・気づき
私という存在が、あたかも「ある」と感じるのは実は幻で、人間には魂は存在しない。脳の、ニューロンの活動が「私という1つの意識」を感じさせているだけだ。
脳が損傷すれば、意識も、人格も壊れてしまう。だから脳を大切に扱わなければならない。脳の損傷で「私」が損なわれ、妻や子供たちに「昔のお父さんはいなくなってしまった」と悲しい思いをさせないようにしなければ。
脳卒中にならないためには、痴呆にならないためには、どうすればよいだろうか。きっと食事・睡眠・運動が重要だろう。読書や人付き合いで頭の体操をすることも大事かもしれない。
私の脳の中に「ゾンビ(無意識)」がいるように、他者の脳の中にも同じものがいる。私が自分の子供などの他者に良い働きかけができたとき、彼らの「意識」は何も変わらないかもしれない。しかし「無意識」のゾンビは覚えているのではないだろうか。
子供達に対する良い働きかけを継続すれば、ゾンビがそれを受け止め、覚え続け、いつか子供達の「意識」に浸食してくれるのではないだろうか。そんな気がする。
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